1109 弁天崎=佐渡市杉野浦(新潟県)4っ目の弁天さんの鳥居は朱塗りではないが地理院地図で鳥居マークがないのはなぜ? [岬めぐり]
えーっと、これは佐渡の弁天の岬その4ですね。1100 弁天崎=佐渡市片野尾・1102 弁天岬=佐渡市東強清水・1105 弁天崎=佐渡市多田に続いてここになる。佐渡の東南海岸に点々と続いてある弁天の岬は、先走って言うとこの後小木にもうひとつあるので、都合5つもある。
日蓮さんが帰りに船出した場所だという真浦から、南西方向にかけて柳沢、南新保、そしてこの杉野浦と、海岸線にへばりつくようにしてある集落がぽつぽつとある。
山が迫っているので、平地は山と海の間に挟まれたごく狭いものでしかないが、そういうところを選んで小さな集落ができているようだ。目立った川もなく、わずかな谷の水流が地図には青い短い線で描かれている。山へ入る道も集落ごとにあるが、それらはいずれも脇道に過ぎない。
こういう状況は、大杉、赤岩、野崎と、次の野崎鼻まで続く。
杉野浦の弁天崎は、羽茂へ向かって南西へ走るバスの、雨の車窓に流れている。杉野浦の集落は、ちょうどこの弁天崎を中心にして、東と西に分かれているようだ。東のほうから見ると、山が切れて道路が岬を巻いていく外側に、一軒の建物と低い岩場が海に向かって長く突き出ている。
ここは山というより岩の島であるらしい。実際、地理院地図では陸地からはわずかに離れた島として描かれている。
バスで走りながら過ぎて行く限りでは、島か陸続きかはよくわからない。
どうしょうもなくひどい写真で、みなさんがブログにあげているきれいな写真とはダンチだが、それでもいちおうはあげておきたい。車窓写真では、こういう障害物が決定的にじゃまをすることも多いが、それもまたあるがまま。
岩島の上には、これが弁天なのかというような立岩らしきものもあるが、定かでない。周囲もごちゃごちゃしていて物置き場と化しているような雰囲気もあるが、ちゃんと鳥居が立っている。これまでの弁天さんの鳥居は、だいたいにおいて朱塗りであるが、ここのは朱塗りの鳥居ではない。
さて、ここではたと気がついてしまった。
これまでに訪問した佐渡弁天のうち、地理院地図で鳥居マークがついているのは初めの二つで、この弁天を含む後の二つには鳥居マークがない。だが、実地にはこうして赤くはないものの鳥居がある。
念のために先走った小木の弁天崎にも、鳥居マークはない。
国土地理院が地図に鳥居マークをつける場合とつけない場合があるようだが、その基準がどこにあるのかわからないので、これ以上の詮索もできない。だが、強清水の弁天岬の場合は、弁天さん以外に村社の八幡さんがあったので、あるいは最初の片野尾の弁天崎も、そうだったのかもしれない。
もしそうだとすると、地理院地図では弁天社だけの場合は鳥居マークをつけない、ということなのか?
改めて断っておくが、こういうどうでもいいこと、答えが出にくいことにいちおうこだわってみるのが、でんでんむしの流儀なのである。
赤くない弁天の鳥居があるのかどうかも、よくわからない。答えがみつからないのである。もっとも、さっとなでただけで、調査不足ではあるけれども…。
弁天さんといえば、誰でもがすぐに思い浮かべるのが、七福神が乗った宝船の琵琶を抱えた紅一点であろう。だが、これは比較的新しい弁天さんであるらしい。
古代インドの河の神が日本にやってきたのは奈良時代と言われているが、吉祥天やら妙音菩薩やら宇賀神やら宗像三女神やら市杵嶋姫命やらとさまざまな神を習合しつつ、中世以降に広まってきたものだろうか。
祭神としては宗像三女神またはそのひとつの市杵嶋姫命を祭っているところが多いようだが、それも近世のことらしい。市杵嶋姫命というのは宮島の厳島神社の祭神であり、海に浮かぶ大鳥居が朱塗りである。これが、結構見栄えがするというので、これが引き継がれたということも考えられる。…のかな?
▼国土地理院 「地理院地図」
37.839679, 138.375021
信越地方(2014/05/15訪問)
タグ:新潟県
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